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ラルフローレンの紹介

ラルフローレンは、1939年、ニューヨークのブロンクスにロシア移民の子として生まれる。本名、フランツーリフシッツ。ニューヨーク州立大学に進学後、2年間で大学を退学。ブルックスーブラザースに就職後、67年ネクタイ製造会社、ボーブランメル社にタイデザイナーとして採用。ナロータイの全盛時代に4インチ幅の幅広ネクタイ「ポロタイ」を発売し、大ヒットさせる。68年、独立して「ポロラルフローレン社」を設立、メンズコレクションを発表。70年には名誉あるコティ賞をメンズェア部門で受賞。71年レディースもスタート。シンボルマークのポロプレーヤーは、同年に発表された女性用シャツブラウスの袖のカフス部分に付けた刺繍が始まり。74年、映画「華麗なるギャツビー」で衣装を担当、アカデミー衣装デザイン賞を受賞。その後も、ウェスタンルック、女性のスポーツウェア、プレッピールックなど発表し、デザイナーとしての地位を固める。86年アメリカ人として初めてパリにもブティックをオープン。

H&M(ヘネス&モーリッツ)の戦略

スウェーデンー・ストックホルムに本社を置く企業だ。同社はヨーロッパをリードするアパレルSPA。ギャップと並んで成功した企業である。とりわけ成長力をもった企業として有名だ。現在、世界に、約七〇〇店をもつダロしハルな小売業。同社の創業者はアーリソダーパーソソ。スウェーデンで仕事をしていたとき、アメリカで流行していた高回転・低価格を武器にした新しいタイプの店に魅力を感じ、店作りに入る。店名の由来は、女性の服を売る(ヘネス)と彼女という意味を店名にしている「最も良い品物を良い価格で提供する」というJソセプト。それだけに、品質と価格の価値を通してアピールする。他方、最高のサービスを顧客に与えるための教育も徹底している。

スーツスタイルは、肩が落ちすぎて貧相

ジェームズ・ディーンは、ケーリー・グラントがハリウッドスタイルのスーツをスクリーンからアメリカ中にばらまいたように、1955から1956年の間のたった3本の映画で、カジュアルウェアを世界に発信し、世界中がカジュアル時代へとつき進んだ。彼の功績は、カジュアルという言葉を服の世界に定着させたことである。ジェームズ・ディーンが登場する前は、フォーマル(クラシックスタイル)と、インフォーマル(カジュアルスタイル)という言葉で括られてしまい、語感から自由な雰囲気が欠落し、服を着る楽しみが感じられなかったからだ。ビッグスリーの誕生した年は、ロン・ブランドが1924年、あとの二人は、ほぼ同じ年(マックィーンが1930年、ディーンはひとつ下)で、ついでにいえば、クリントーイーストウッドも1930年生まれだが、彼もスーツ姿が似合わない。「ダーティハリー」5部作の、ツイードのジャケットと、スーツスタイルは、肩が落ちすぎて貧相である。